高萩競馬場から始まった県内での近代競馬は
那珂川べりの霞町(現:根本町)に設営費4万9千円余りをかけ
鉄筋コンクリート造りの観覧席、一周1,600mの本馬場という
本格的な施設を水戸市が設け
1934(昭9)年4月:市が建設した競馬場施設を茨城県畜産組合連合会が借りる形で水戸競馬場が開催された
春と秋にそれぞれ4日間
優勝馬投票券は一枚一円(当時の宿料一泊一円50銭)
高額な投票券にもかかわらず
開催日には押すな押すなの大盛況で
競馬場の付近には露天商が軒を並べ、お祭りのような賑わいであったという
初年度の売り上げは34万円余りを計上
しかし、その人気も徐々に下火となり
1938(昭13)年:古河に移転という形で、水戸競馬場は廃止に至る
茨城県水戸市
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